ミスターデビル ウィスパー!

デビルが聞いた、調べたダンス業界の裏話をさらりとお届け

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ウィスパー#1 「WDSFのオリンピックへの挑戦とWDCとの確執」
●ウィスパー#2 「ボビー・アービン女史が最も愛したスローフックスの魔術師」

●ウィスパー#3 「イタリアの異端児たち

●ウィスパー#4 「WDCを翻弄するスコットランドの伊達男」

●ウィスパー#5 「ブロードウェイにチャレンジした天才ラテンダンサー」

●ウィスパー#6 「世界のジャッジが愛したNIPPONの選手!!」

ウィスパー#1 「WDSFのオリンピックへの挑戦とWDCとの確執」

90年代半ば、当時の最大アマ組織IDSF(現WDSF)はダンス界のリーダー的存在を目指していた。

 

会長カルロス・フレイタグ(スペイン)は、同じくスペイン出身の元IOC会長サマランチが持つ強力な「IOC」ネットワークを活用し、IDSF(=WDSF)をいち早く「IOC」傘下の“ダンススポーツの承認団体”として認可させた。

 

そしてすぐにIDSFの組織名を「World DanceSports Federation」と変更し、
ダンス界の世界的頂点であると銘打った。これは同時に、

「WDSFが率いるボールルームダンスがオリンピックの正式種目になり得る権利を持つことを意味した。

 

WDSFはさらに、オリンピック種目への近道を探るためトップクラスのダンサーを擁するプロ組織「WDC」の参加を促した。

ところが、WDCは猛反対で・・・

この計画は暗礁に乗り上げた。

WDCの反発根源にあるものは、「プロとしてのプライド」だ。

 

当時のアマ組織の選手は、主にプロ関係者のチャンピオン&ファイナリストからレッスンを受け、スキルを学び、やがてプロ選手に向上するという“流れ”を本流としていた。いわゆる、「英国スタイル」のダンスandスキルを学び継承していたのである。

「プロがアマを教える」・・・

このメンタリティーは絶対的に強い時代下である。

 

多くのチャンピオンを作りあげたレジェンド、ビル・アービン伯楽の言葉を借りれば・・・

“It must be joking!” (これは、とんでもないジョークだ!)”

すなわち、プロの考えの中には・・・

IOCの承認組織には、まず「WDCが傘下」となり、

その後、「WDSFがWDC傘下のアマ部門となる」のが当然だ!

との考えが根強く存在した。

 

天下のIOCがすでに認可したサイコロの目を変えろ!ということだ。 

その後、両者の話し合いは行われたが、状況は悪化。

特にWDCの会長職にドニー・バーンがなると、彼が持つ個人的キャラは状況をさらに泥沼化させた。

 

双方はそれぞれ、「アマチュア・リーグ」(WDC)「プロ・デヴィジョン」(WDSF)を構築。

両組織の確執は続き・・・・・

オリンピックへの道が、ほぼ途絶えたのである…。